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スタイリストの哲学 〜猪塚慶太の場合〜

スタイリストの哲学
〜猪塚慶太の場合〜

現役スタイリストの内面とそのクリエイティブに纏わる原点を生々しく探り出す恒例企画。今回は、昨今あらゆるメディアで耳にした“90年代”に青春時代を過ごし、そのエッセンスを一つのルーツにしながら、変幻自在にあらゆるファッションビジュアルを提案し続ける猪塚慶太氏をお迎えした。そもそも無類のサブカル好きだったと語る猪塚氏は、単に服を着せるだけではないスタイリストの在り方を常に意識しているという。そんな彼のスタイルを作り上げたものとは?

卒業した次の日に
アシスタントとしての日々がスタートしました

——単刀直入に、そもそもなんでスタイリストになろうと思ったんですか?

「皆さんも同じだとは思うんですけど、もともと映画とか音楽とかはすごく好きだったんですよ。洋服ももちろん。でも普通に大学には行ったんですけど、そのころには一旦もうファッションに飽きちゃっていて。当時映像や音楽制作の方が楽しそうだなと思って、一応、映像と音楽の制作会社に就職を決めていたんですよね」

——そうなんですね。それがどうやってスタイリストに?

「同じ大学に今現在フォトグラファーとして活躍している守本勝英くん、通称”モーリー”という男がいまして、モーリーも自分もあまり大学に行ってなかったので、テスト前とかにノートをどうするだとかやり取りしているうちに仲良くなったんですよ。当時、モーリーはすでにフォトグラファーのアシスタントを始めていたので、卒業したらどうすんの? みたいな話になったときに、“スタイリストとかいいんじゃない?”って言われて。それで自分的にもやってみようかなって思ったときに、ちょうど、のちの師匠となる(スタイリストの)渡辺康裕が今募集してるよって教えてくれたんです。それで電話したら“学校卒業したら来て”って言われて」

——それは大学を卒業してすぐということですね。

「そうです。もう卒業した次の日にアシスタントとしての日々がスタートしました。その行った日から、いきなり2週間帰れなかったんですよ。初日だったんで、やっぱり気合を入れて、革ジャン革パンという全身レザースタイルで現場に行ったんですけど。スカーフ巻いて、トッズのドライビングシューズとかを履いてオシャレして行ったのに全然帰れなくて、むちゃくちゃムレちゃって、みたいな(笑)。そういう思い出が最初のインパクトですね。これは大変な業界に足を踏み入れちゃったんだな、っていう」

——じゃあ、心の準備もなにもなくて、いきなり怒涛の日々に突入したんですね。

「そうです。本当に何も知らなかったんで。いきなり靴底張りしてくれって言われても“それってなんですか?”みたいな感じで。自分はそういうところからのスタートだったんですよね」

ずっとファッションの横にある
サブカルみたいなものが好きでした

——仕事としてはどんな感じだったんですか?

「当時は師匠がガンガン良い仕事をしていく、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事をされていた時期だったので、そこを一緒に体験することができて、日々大変でしたけれど、楽しかった時期ではありましたけどね。当時、雑誌でいえば『smart』とか『POPEYE』とかをやらせていただいて。凄い勢いのあった時代でしたし、楽しかったといえば楽しかったですけどね」

——仕事が面白いっていうのは、すぐ思えたんですか?

「いえ、全然思わなかったですよ(笑)。もう大変すぎて、毎日家出るときに母親に“今日辞めてくる”って言ってましたから。もう、わけわからない! 辛い!っていう感じでしたね。何も知識もなかったですし、洋服はある程度知っていましたけど、自分はやれるだろぐらいの若者特有の根拠のない自信みたいなのはめちゃくちゃあっても、それを全部ボロボロに壊されちゃったみたいな感じでしたね」

——そこまで大変でも辞めなかったのには、何か理由があるんですか?

「自分の性分的にあんまり辞めるということができなかったんですね。高校まで野球をやっていたんで、自分の人生で辞めるとか何かを途中で投げ出すとかいうことがそれまでなかったんですよ。変な根性みたいなのだけはあったんで、なんか続いたんですよね」

——ご自分的には、その当時将来のヴィジョンみたいなものはあったんですか? こういう感じのスタイリストになりたいとか、こういうふうな仕事をやっていきたいとか?

「まったく見えなかったですね(笑)。そんなことを考える余裕はなかったですね。ただ当時から映画とかヴィジュアルを見るのは本当に好きで、『STUDIO VOICE』とか『DUNE』とか『Cut』とか……、むちゃくちゃ面白くて。学生のころから、ずっとファッションの横にあるサブカルみたいなものが本当に好きだったのでそれは変わらなかったですね。」

——そうなんですね。では自分のヴィジョンが見えてきたのは、アシスタントに就いてどれぐらい経ってからなんですか?

「そうですね。なんとなく3年ぐらい経ってからですかね。やっぱり洋服が単に好きっていうよりは、その自分が好きだったサブカルとかそういうことには関わっていきたいというのはあったと思います。ただ、当時はうちの師匠がやる仕事や作品が本当に面白かったので、それ自体に強い影響を受けてたと思います」

——具体的にいうと、どんな仕事から影響を受けたんですか?

「本当にたくさんあるのですが、まずとにかくアイデアが面白かったですね。例えば、ミリタリーをテーマにした特集で靴底張りに迷彩柄テープを張ってそれをわざわざ見せたりとか、常に細かい部分でもいろいろと考えていたというか。その仕事の感覚は、今の自分も受け継いでる部分がかなりありますね。当時師匠は海外のフォトグラファーやスタイリストの仕事にも詳しくて。アシスタントの後期は、モードっていうものに改めてすごい影響も受けました。それが2000年前後ですかね。多分そのぐらいから自分でも作品撮りを始めたりしたんですよね」

グレーのスウェットのどこが格好良いのか? 
そういうリアリティを追求しています

——そこから独立するきっかけみたいなものはあったんですか?

「2年半〜3年ぐらいやったときには、けっこう師匠の信頼を得るようにはなっていたと思います。“お前がこの仕事の洋服を集められるのなら、俺この仕事受けるけど……”と言われるようになってたんで。うちの師匠はプロップとかにもすごい拘りがあって集めていたんですけれど、当時はローリングストーンズの最後の晩餐の写真をそっくりカタログで再現するみたいなことがあって、“ここに写っているものを全部集めてこい、1ヶ月来なくていいから”って言われて。見たこともないキノコとか豚の丸焼きとか、東京中のアンティーク家具屋を回って写っているのは何年代の家具だとかも聞き出したりして。その経験が基になって、撮影を行うプロセスにおいていかにバックボーンが大事か、それらのものを集められなければ撮影が成立しない、つまりないということがあり得ない、ということを学んだんですよね。“青いザリガニ探してきて”とか、“マッドマックスみたいな鉄のブーメラン作ってきて”とか、お題を投げられっぱなしだったんですけど、ハードルの高い、一瞬無理なんじゃないか?と思える要求にも、諦めずやってみたらできないことはないと思うようになって、それがひとつずつ自分の中での小さな自信になっていったんですよね」

——それで独立心が芽生えていったということですかね。ところで青いザリガニはどうしたんですか?

「いたんですよ(笑)。エレクトリックブルーっていうザリガニが。ブーメランは、練馬のほうの鉄工所に行ったら作ってくれたりとか。自分の人生で初めてのことばっかりだったんですけど、いきなり突撃でもお願いすればけっこうなんでもできるもんだなって、思えるようにはなりましたね。あるブランドのカタログ撮影でトランプを製作した時もAV女優にSMみたいなことをお願いしたいって言われて、事務所に行ったらしたらその筋の人が出てきて、“あんちゃんじゃ話にならないからボスを連れてこい”と言われて“2日後にルノアールで”みたいな……(笑)。そういった経験の中で、やってできないことはない、と徐々に自分でも思えるようになっていきました」

——なるほど。当時師匠がトライしていたことは、大変ではあったけど面白くて自分の身になることだったということですよね。

「そうですね。それを自分も受け継いでいますし、自分から独立した唯一のアシスタントである服部くんにも受け継がれていると思います。ただ単に洋服を着せてということだけではなくて、“そこだけではない何か”みたいなことは、うちの師匠から学び、今現在もそれをやっているという感じです。他にも、なんてことないシャツの味を出すとか、白いスニーカーの汚れている美学、女性の下着の肌触り、なんかも学んだりしましたね」

——そこから独立して自分なりに心がけていることはありますか?

「2003年に独立したんですけど、本当にやっていることは変わっていない感じがします。やっぱり映画が好きだったりするんで、エキセントリック、アバンギャルドで派手っていうことよりは、割と自分は、なんてことないグレーのスウェットのどこが格好良いのか? そういうことを追求したりしてますから。例えばシャツのリアルな着せ方に関していうと、多くの人はちょっとヨレてるほうがリアルだって思いますよね。でも実は洋服って畳んで売っているものなので、それを帰ってきてわざわざアイロンをかけて着る人は本当はそんなにいないと思うんですよ。だから袖に畳み皺が入っているほうがリアルなんじゃないかなとか考えたり。白シャツのポートレートでも、パリッと綺麗なシャツが格好良いのかヨレヨレで味が出ているほうが格好良いのか、クリーニングで返ってきた折り皺が入っているほうがリアルなのか、そういうところを常に考えてますね。白いTシャツは、何回洗っているのが今回のストーリーにはマッチするのかとか」

——リアルさとその見え方に、猪塚さんならではのこだわりが常にあるんですね。

「雑誌であれ映像であれ、基本的にそこは常に考えています。洋服だけがどう見えるっていう考え方ではやっていませんね」

ストリートとモードのミックススタイルとか、
“そんなの普通じゃん”って思うんですよ

——なんか自分のなかでの嗜好の変化みたいなものはありますか?

「それは日々常にありますね。例えばTシャツとデニムでずっとスタイルが変わらないとか、一本筋の通った無骨なスタイルもかっこ良いとは思うんですが、自分自身はそうではないので。やっぱりシーズンで洋服のトレンドって変わるじゃないですか? そのシーズンの洋服を楽しむ感覚は実は柔軟にあるほうだと思いますね。昨日まで好きだったものに興味がなくなっていたりしますし(笑)」

——そうなんですね。そのあたりは柔軟なんですね。

「そうですね。もちろん戻ったりすることもあるんですけどね。たとえばデニムもノンウォッシュがよかったりブリーチしたのがよかったり、そういうのはもちろんあるんですけど。あるようでない、ないようであるのが自分のこだわりだと思いますね」

——何か便宜上挙げるとすれば、自分のなかでアイコンと呼べるようなカルチャーやテイストみたいなものはないんですか?

「自分は青春時代を90年代に過ごしているんで、例えば音楽でいうならばグランジもあればヒップホップもあって、その両方が好きだったんですね。だから、なんか混ざっていたんですよ、もともといろいろと。日本の映画も好きだったし、洋画も好きだったし、そこも垣根がなくて。割と雑多なものが好きというか。その考え方ってずっと残ってるんですね。最近よく、ストリートとモードのミックススタイルとか、ヒップホップアーティストがパンクムードだったりとかありますが、“そんなの普通じゃん”って思うんですよ。自分では、あんまり新しくもなんともなくて。なんでも混ぜちゃうっていうことは、今の自分のベースにあるのかもしれないですね」

——それは、やはり90年代ということがキーワードなんですかね?

「といっても自分はずっとそこに止まっているわけではないので、どんどん蓄積されていっているという感じです。たとえばカルチャーやファッションについて語る時に、“何年代”とか、“メイド・イン・何とか“とかいう話がよく出てきますけれど、自分はそういうジャンル分けみたいなのが本当に好きではなくて。そりゃ、年をとれば強みは増えていくのかなとは思いますけど。2016年の今も生きてるし、90年代も実際に体験しているわけですから。ただそういうのをカテゴライズするのは感覚としてはないですね。されたくもないし、という感じもありますし。自分としては、ストリートでも和装でもビジネスマンでもグラビアでも、洋服を着せるということがスタイリストの生業である以上、どんな装いにでもスタイリングできますよって感覚でいますから」

——なるほど。最後にこれからやりたいこと、新しくチャレンジしたいことがあれば教えてください?

「やっぱり映画をやりたいですね。みんなで作ってみたいです。自分一人でっていうのは無理だと思うので、自分の周りにいる人たちと、なんか作品を一緒にやりたいなって思います。スタイリング云々とかではなく、映画に関わっていきたい。漠然としていますが、今はそんな思いがありますね」

「ただ好きなだけですけどね(笑)。なんか買っちゃうのはこういうものなんです。どうしてもキメ過ぎは格好悪いと思っちゃうタイプで、コンバースとかディッキーズとかは自然に増えちゃうんですよね。別にアメリカが好きなわけではないんですけどね」

「これも意識しているわけではないんですが、髪の毛を切ったということもあって最近よく帽子を被るようになりました。気がつけば、黒の6枚パネルばっかりですね。もちろんSHIPSで入手したものも被ってますよ(笑)」

「今回、初めてSHIPS JET BLUEのカタログのスタイリングを担当しました。日本的なストリートカルチャー、東京ローカル感、ヒップホップのムードをイメージしています。自分の音源をRECしているようなリアリティのある写真は自分でも好きですね。撮影も楽しかったです」

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猪塚慶太 Keita Izuka

1974年、福岡生まれ。大学卒業後、渡辺康裕氏に師事し2003年に独立。ファッション、音楽、映画等に纏わる多様なカルチャーに精通し、あらゆるヴィジュアル製作に携わっている。青春時代を過ごした90年代のミックスカルチャーを一つのルーツとしながら、リアリティのある新たな洋服の見え方を日々模索している。

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